戦後の厳しい環境の中で独立をし、現在の「株式会社こんの」の礎を築いた父はどのような人物だったのでしょうか。
父は非常に厳格で、まさに「昭和の父親」を象徴するような人物でした。例えば朝食時に食卓で顔をムスッとしかめながら大きく新聞紙を広げて新聞を読む、叱るときは言葉より手が早く出るなど、子どもであった私にとって近寄りがたい存在だったといっても過言ではありません。こんなことをいうと変に思われるかもしれませんが、父の膝の上に私が座って一緒に過ごすなどの記憶がないのです。とにかくおっかない存在でした。
しかし、自宅でゴロゴロしているような緩んだ姿は一切なく、いつもシャキっとしていました。そういう点では終始「社長」の姿を貫いていたように思います。
考えてみれば当時、弊社は「ボロ屋」「クズ屋」などと言われていましたし、人が進んでやりたがる仕事とは言い難い部分もありましたから、父は常に気を張っていたのでしょう。また、どうしても景気に左右されやすい業種でもありますから、いつどこで何が起こるかなどのアンテナを敏感に張ることに集中していたのだと思います。
ただ、父と祖父が似た性格だったのかというと、そうでないことが意外なところです。
私の祖父の話を少ししますと、祖父は紺野家に婿養子として入ってきました。祖父の仕事に向き合う姿勢はどうだったのかというと、残念ながら私が物心をついたときには祖父の働く姿を目にしたことはありません。祖父はおそらく相当早い年齢の内に仕事からフェードアウトをしていたのだと思います。(もちろん、私からは見えない祖父の苦労は多々あったことでしょう)
そういう意味では紺野家から続く家訓などは薄く、同じ屋根の下で祖父・父と一緒に暮らしていながら創業者の精神や仕事に対する確たる考えなどを伺えなかったことは少々残念であったようにも感じます。
私がそう感じるくらいですから、父も同じでしょう。
だからこそ、父は父なりに自分としての創業者精神を築き上げたのではないでしょうか。
父:紺野 嘉昭